宮本百合子

 しかも宗達は、こんなに柔軟で清新な芸術の世界で、いかにも微笑まれる技術の上の手品を演じている。
 画面の左手に、あっさり鳥居がおかれている。画面の重心を敏感にうけて、その鳥居が幾本かの松の幹より遙に軽くおかれているところも心にくいが、その鳥居の奥下手に、三人ずつ左右二側に居並んでいる従者がある。
 同じ人物でありながら、この三人ずつの一組は、鳥居の外から中央に至り、さては上手の端の牛飼童に終る一群の人々とは、何と別様に扱われていることだろう。
 画家は、画面のリズムの快よい流れの末としてこの六人を見ている。そのために、鳥居とそのうしろの雄渾な反り橋の様式化に応じて、これらの人物は人物ながら、静的に、自身の動きを消されたものとして、衣紋さえ、こちらの群の人たちの写生風なのとは全然違った様式で統一している。
 更に、思わず私たちの唇をほころばせ、つづいてその画魂に愉快を覚えるのは、宗達がこの三人ずつの一組のところで、遠近法というものを、さかさまにしている点である。

 バスの婦人車掌は、後から後からと降りる客に向って、いちいち「ありがとうございます」「ありがとうございます」と云っています。あれは関西の方からもって来られた風だそうですが、混雑の朝夕、それでなくてさえ切符切りで上気せている小さい体の婦人車掌が、停留場の呼び上げ、右オーライ、左オーライ、御無理でございましょうが御順にお膝おくり下さい、そちらにおかけになれます。等、実に夥しい言葉かずと気くばりをしているのに、あの機械的な、ありがとうございます、の連発を聞いて、快い人が果して何人あるでしょう。
 会社はどうしても一人に一度のありがとうございますを与えたいというのならば、ステップを降りるときバネで「ありがとうございます」と叫ぶ仕掛けを発明したら、思わず苦笑する丈でもましであると思います。

 有島さんの死は余りに私にとっては大きな事柄なので、この場合それに対して批判するというような気持になっていません。ただそれによって私が強い衝撃を受けた、その気持に就いてだけお話ししたいと思います。
 森鴎外先生のなくなられたときにも私は、強い刺戟を私の胸に受けました。然し今度のことは私の全体を動かすほどの驚きでした。然し私はあの報道を手にすると共に、それは有島さんとして有り得べき事柄だと信じました。
 五月の末、或る蒸し暑い日でした。波多野さんが尋ねて来ましたが、その折なるほど女は斯うあってもいいと思わせるような瀟洒な姿であるにも拘らず、何時もよりはだいぶ痩せが見えていたので、そのことに就いて聞くと、只仕事が忙しいのと夏痩の結果であると答えていました。然し今から考えて見るとそれは死を覚悟した然し取り乱さない緊張さであったと思われます。それと同時に有島さんの死も、単に普通の人の考えるような気持ばかりでそれを観ることは出来なかろうと思います。