三木 清

 読書は一種の技術である。すべての技術には一般的規則があり、これを知っていることが肝要である。読書法についても古来いろいろ書かれてきた。しかし技術は一般的理論の単なる応用に過ぎぬものではない。技術においては一般的理論が主体化されねばならず、主体化されるということは個別化されるということである。これがその技術を身につけることであって、身についていない技術は技術と云うことができぬ。読書にとって習慣が重要であるというのも、読書が技術であることを意味している。技術は習慣的になることによって身につくのであり、習慣的になっていない技術は技術の意義を有しないであろう。そのことは固より読書にとって一般的規則が存在しないことを意味するのではない、もし何等の一般的規則も存在しないとすれば、それが技術であることもできぬ筈である。
 一般的規則の主体化を要求する点において、すでに手工業的技術は工場的生産の技術よりも遙かに大きいものがあるであろう。まして読書の如き精神的技術にあっては、一般的規則が各人の気質に従って個別化されることが愈々必要になってくる。めいめいの気質を離れて読書の技術はないと云っても好いほどである。読書法は各人において性格的なものである。それ故に各人にとって自分に適した読書法を発明することが最も大切である。読書の技術においてひとはめいめい発明的でなければならぬ。もちろんこの場合においても発明の基礎には一般的規則がある。しかし自分の気質に適した読書法を自分で発明することに成功しない者は、永く、楽しく、また有益に読書することはできないであろう。

 そのような意味で誰かの文庫を調べてみると面白い。沢山に本が集めてあっても案外使えない文庫がある。それは持主が自分の文庫を使っていない証拠であり、またそれをほんとうに愛していない証拠である。尤も使う目的にも使い方にも人によって色々相違があろう。そこで或る人の文庫を見ればその人の性格がおのずから現われている。そこに文庫の倫理とでもいうべきものがある。文庫を見れば主人が何を研究しているかというようなことが分る以外に、そこに更に深いもの即ちその人の性格が自然ににじみ出ているのが面白い。本は自分に使えるように、最もよく使えるように集めなければならない。そうすることによって文庫は性格的なものとなる。そしてそれはいわば一定のスタイルを得て来る。自分の文庫にはその隅々に至るまで自分の息がかかっていなければならない。このような文庫は、丁度立派な庭作りの作った庭園のように、それ自身が一個の芸術品でもある。
 そしてこのように性格的或いは個性的であることを私は特に今日の出版業者に向って希望したい。我が国の本屋は外国の本屋に比べてどうも個性が薄いように感じられないであろうか。ドイツのトイプネルにしてもジーベックなどにしてもそこから出る本にはそれぞれ一定の特色がある。フランスあたりの本屋にしても、こんな本は多分アシェットから出ているだろう、恐らくアルカンから出ているだろうと見当がつくぐらいである。ところが日本では或る本屋が或る形式、或る種類の本を出して成功すると、すぐ他で模倣する者が大勢出て来る。その結果つまり互に弱め合うということになる。出版においても銘々がもっと創意を貴び合うようになってほしい。その本屋から出る本は内容装釘共に全体としてきちんとした一定の特色が貫いているというのが好ましいことだ。そういう色がすぐさま読者の頭に思い浮ぶことのできるようにして貰いたい。それが本屋の倫理ではないかと思う。

ヘーゲルもいつた、侍僕にとつてはなんらの英雄も存しないといふのはよく知られた諺である、私はこの諺に次のやうに附け加へる、けれどもそれは此の者がなんら英雄でないためでなく、彼の者が侍僕である故である、と。恰もそのやうに、人間精神の諸活動のうちただ一定のもののみがすぐれて認識の作用であり得るとプラトンは考へた。純粹なイデアを知るものはそれ自身純粹な理性でなければならぬ。認識は人間のどのやうな精神の状態においても可能であるのではない。そのただ特定の場合だけが認識に適する、認識にとつて充全な態度を可能にする。從つて認識は一定の道徳的條件を前提してゐる。そのためには、我々は情欲を去り、實際的な目的から離れなければならない。一言でいふと、我々は我々の現實的な存在から我々を自由にしなければならぬ。地上の肉體的な生活を脱することによつて天上の、物的ならぬイデアの認識は可能になるのである。もしかくの如くであるならば、プラトンの認識理論が少くとも單なる模寫説でないことは明瞭であらう。我々の心におけるどのやうな對象でもの模寫ではなく、ただ一定の對象の模寫のみが、まさにこの對象即ち眞に存在するものの模寫である故に認識であり、しかもかかる模寫はただ人間の存在における一定の状態竝びに態度においてのみ可能であると考へられたのである。認識に關するプラトンの研究の全努力はかかる一定の對象、そしてそれに十全な作用の性質を純粹に取り上げることに向けられてゐる。